赤れんがパーク内の建物は、舞鶴鎮守府の軍需品等の保管倉庫として、明治33 年(1900 年)に着手されて以来、大正10 年(1921 年)までに次々と建築されました。
中でも明治期のものは、明治34 年~ 36 年の3 年余りの短い期間に建てられていますが、有名な日本海海戦が行われたのが明治38 年(1905 年)ですから、まさに当時の日本の国勢が伺えるといえます。これらは、外国産の鉄骨が使用されるなど、当時の国内の工業の未熟さが感じられる一方で、後の大正期に建てられた倉庫と比べ、外観に意匠的な工夫が凝らされており、急ピッチで進められた工事であるにもかかわらず、丹念に作られているのが興味深いところです。 これに対して、大正期のものは、国産の八幡製鉄造の鉄骨と組み合わせて大空間を作るなど、工法の違いも興味深いところです。今も残る建物内の構造物や設備と併せてご覧ください。
みなさんは、舞鶴赤れんがパークにある赤れんが博物館に行ったことはありますか?舞鶴の赤れんが倉庫にまつわる話だけでなく、世界のれんがにまつわるいろいろな展示やお話があるんですよ。
赤れんが博物館の見所やエピソードは語りきれない程ありますが、その一部を、2回にわたってご紹介したいと思います。 では早速、博物館に行ってみましょう!
博物館を語る上で欠かせないのは、その建物の歴史なんです。
この建物は、日露戦争開戦の前年、明治36 年7 月に舞鶴海軍の魚形水雷庫として建てられました。舞鶴のなかでも最古の鉄骨れんが建造物で、2008 年に国の重要文化財にも指定されています。 建物そのものも展示物なんですね。
ちなみに赤れんがパーク内では赤れんが博物館は1 号棟として扱われており、博物館を含め8 棟の赤れんが倉庫があります。