赤れんが倉庫12棟のうち8棟の赤れんが倉庫が重要文化財に認定され、
平成24年(2012年)には「舞鶴赤れんがパーク」としてグランドオープンし、観光交流の拠点としてにぎわっています。
平成28年(2016年)4月には、「鎮守府横須賀・呉・佐世保・舞鶴〜日本近代化の動を体感できるまち〜」として日本遺産に認定されました。
赤れんが倉庫は、舞鶴鎮守府の軍需品等の保管庫として
明治33年(1900年)から大正10年(1921年)までに次々と建てられました。
舞鶴鎮守府開庁の草創期に建てられたものは、大正時代に建てられた倉庫と比べ外観に意図的な工夫が凝らされていて、
急ピッチで進められた工事であるにも関わらず、丹念につくられています。
明治37年(1904年)に軍港学送線が開通したことにより、
現存する自衛隊所有の3棟を除くすべてが倉庫内まで線路を引き込み、
昭和47年(1972年)に廃線になるまで貨車等により物資を運搬していました。
現存する赤れんが倉庫は、れんが造2階建11棟、鉄骨れんが造1棟があり、うち8棟が平成20年に国指定重要文化財に指定されました。
赤れんが5号棟(赤れんがイベントホール)(舞鶴海軍軍需部第三水雷庫) 構造 :れんが造2階建 建築年代:大正7年
赤れんが5号棟は舞鶴鎮守府軍需部の倉庫として大正7年(1918年)に建設されたれんが造り2階建の倉庫で、舞鶴鎮守府最大の倉庫でした。 第三水雷庫として建築され、終戦まで砲銃庫として使われました。 倉庫内部には東西に通り抜けるように軍港引込線が敷かれていました。 戦後は民間会社の飼料用大麦・ガラス・雑貨倉庫として使用されてきました。 5号棟は赤れんが倉庫群の中で最も規模が大きく、明治期の倉庫と比べても堅牢な造りとなっています。
2・3・4号棟は、舞鶴海軍兵器廠の倉庫として明治35年(1902年)に建設されたれんが造2階建の倉庫で、
終戦時までは2号棟は砲銃庫、3号棟は弾丸庫並小銃庫、4号棟は雑記庫並小銃庫として使われました。
改修は、れんが本体にステンレスピンを打ち込む構造補強により、れんが造の雰囲気を壊さないように配慮しています。
特に3・4号棟は当時の設計図をもとに鉄道レール、木製の扉口、階段、瓦屋根及び木枠のガラス窓などを忠実に復元し、当時の姿そのままに整備されました。
I旧舞鶴海軍兵器廠維品庫備艦兵器庫
I旧舞鶴海軍兵器廠彈丸庫並小庫
舞鶴海軍兵器廠雜器庫並預兵器庫
舞鶴市立赤れんが博物館(旧舞鶴海軍兵器廠魚形水雷庫)【国指定重要文化財】
構造 鉄骨れんが造2階建 建築年代明治36年
赤れんが博物館は、平成5年(1993年)に世界でも初めてという、「れんが」をテーマとした博物館として開館しました。
建物は、旧舞鶴海軍兵器廠魚形水雷庫として、日露戦争直前の明治36年(1903年)に建設された鉄骨れんが造2階建の倉庫で、
本格的な鉄骨構造れんが構築物として、わが国に現存する最古級のものです。
鉄骨には、「CARNEGIE」の刻印があり、米国カーネギー社の鋼材を輸入して使用したほか、れんがの積み方は、珍しいフランス積が採用されています。
館内では、れんがの歴史をはじめ、エジプトの日干しれんがや万里の頂上のれんがなど国内外の歴史的建造物のれんがを展示しています。
明治35年(1902年)に需品庫として建築された3連棟の2階建てれんが造り倉庫です。 倉庫の前には長さ150mもの石とれんがを敷きつめた物品運搬通路が当時の姿のまま残っており、 実際に赤れんがパーク駐車場から赤れんがパーク内を繋ぐ遊歩道として活用されています。